夢を追えば、全部が手に入ると思っていた。

大学サッカー部の、最初の写真に僕はいない。

そして、最後の写真にも僕はいない。

最初の写真にいないのは、僕だけ後からサッカー部に入ったからだ。

大学に入ってすぐチームの一員になれたわけではなく、校内セレクションを受けて、そこから入部した。

だから、入学した頃に撮られた集合写真に僕はいなかった。

でも、それから4年間。

同じグラウンドで練習して、同じように走って、同じように悔しがって、笑って。

僕にとっては間違いなく、大学生活の大部分を一緒に過ごした仲間たちだった。

だから、最初の写真に写れなかったことなんて、いつの間にかどうでもよくなっていた。

最後はみんなと一緒に終われる。

なんとなく、そう思っていた。

でも卒業式の日、僕は日本にいなかった。

ブラジルにいた。

プロサッカー選手になるという夢を追いかけるために。

だから、卒業式の写真にも僕はいない。

あとからみんなの写真を見たとき、少し不思議な気持ちになった。

途中でサッカー部を辞めた仲間も、その写真にはいた。

だけど、4年間一緒にサッカーを続けた自分はいなかった。

最初にもいなくて、最後にもいない。

写真だけを見たら、

「本当に自分はそこにいたのかな」

と思ってしまうくらいだった。

もちろん、写真に写っていないからといって、4年間がなくなるわけではない。

自分が走ったことも、苦しんだことも、仲間と笑ったことも、全部残っている。

それでも、寂しかった。

そして今振り返ると、あの一枚の写真が、僕のブラジル挑戦をすごくよく表しているような気がする。

何かを選ぶということは、

選ばなかった何かも生まれる。

夢に向かって進むということは、

ただ前に進むことではなくて、

今まで当たり前に持っていたものから離れることでもある。

ブラジルに来る前の僕は、そのことをあまり分かっていなかった。

僕はずっと、

夢を追いかける人は格好いいと思っていた。

海外に行ってサッカーをする。

プロを目指す。

知らない世界に飛び込む。

言葉だけを並べれば、すごく格好よく聞こえる。

実際、日本にいたときの僕も、ブラジルでサッカーをしている自分を想像していた。

でも、その想像の中に、

一人で部屋にいる時間はなかった。

家族に会えない夜もなかった。

友達が社会人になっていく姿をSNSで見る時間もなかった。

39度近い熱を出して、知らない国で一人で寝込む自分もいなかった。

言葉が分からず、練習内容すら完全には理解できない自分もいなかった。

試合に出られないと分かっているのに、毎日練習する自分もいなかった。

夢を追っている自分の姿は想像できても、

その夢を追うために何を失うのかまでは、想像できていなかった。

大学を卒業すると、周りの友達は社会人になっていった。

仕事を始めて、給料をもらって、自分の生活を作っていく。

彼女と過ごしたり、友達と遊んだり。

少しずつ「社会人としての人生」が始まっていく。

一方で僕は、ブラジルにいた。

収入が安定しているわけでもない。

プロになれる保証もない。

半年後、自分がどこにいるのかも分からない。

僕は大学を卒業して、そのままブラジルに来た。

いわゆる「新卒」という道を選ばなかった。

もちろん、自分で選んだ。

誰かにブラジルへ行けと言われたわけじゃない。

だからこそ、弱音を吐きづらいところもあった。

自分で選んだんだから。

サッカーをやりたくて来たんだから。

そう思えば思うほど、

「辛い」

という言葉を飲み込むことが増えた。

でも、自分で選んだ道だからといって、辛くならないわけじゃない。

夢を追っているからといって、毎日希望に満ちているわけでもない。

ブラジルに来て、僕が一番強く感じたものの一つが、

孤独だった。

家族に会えない。

友達にも会えない。

日本だったら、何かあればすぐに話せた人が近くにいない。

時差があるから、連絡したいときに連絡できるとも限らない。

自分の周りには人がいる。

チームメイトもいる。

でも、

「人がいること」と「孤独じゃないこと」は、同じではなかった。

海外に行けば、新しい人に出会える。

新しい景色も見られる。

新しい経験もできる。

それは本当だった。

でも同時に、

今まで自分を支えてくれていたものが、どれだけ大きかったのかにも気づかされた。

家族がいること。

友達がいること。

自分の言葉が通じること。

困ったら病院へ行けること。

食べ慣れたものを食べられること。

そんなものを、日本にいた頃は特別だと思ったことがなかった。

なくなって初めて、

「自分はこんなにもいろんなものに支えられていたんだ」

と気づいた。

そして、海外にいるということの重さを、別の形で知った出来事もあった。

ブラジルに来て3、4ヶ月ほど経った頃。

なぜか、日本にいる愛犬リロの夢を見た。

夢の中のリロは、いつもと変わらなかった。

僕が帰れば、いつものように迎えてくれる。

そう思っていた。

目が覚めてからも、なぜかリロのことが頭から離れなかった。

なんとなく気になって、母親に、

「リロ、元気?」

と聞いた。

すると、

「なんで急に聞いてきたの?」

と言われた。

その言葉を聞いた瞬間、

胸の奥が嫌な形で締めつけられた。

そして、母親から告げられた。

リロは、もう亡くなっていた。

亡くなってから、一週間ほど経っていたと思う。

僕自身が家族に、

「もし何かあっても、ブラジルにいる間は言わないでほしい」

と伝えていた。

サッカーに集中したかったからだ。

家族は、その約束を守ってくれていた。

でも、実際にその瞬間が来ることなんて、想像していなかった。

17年近く、一緒にいた。

僕が家に帰れば、そこにリロがいた。

何気なく過ごしていた毎日の中に、いつもリロがいた。

それが、もういない。

もう会えない。

もう触れられない。

もう名前を呼んでも、いつものように近づいてきてくれない。

そう思った瞬間、

声を抑えることができなかった。

電話を切ったあと、僕は一人で泣いた。

泣いても泣いても、涙が止まらなかった。

声を出さないようにしようとしても、無理だった。

喉の奥から、嗚咽が何度もこみ上げてきた。

「最後に会いたかった」

「最後に触れたかった」

「最後にありがとうって言いたかった」

その気持ちだけが、何度も何度も溢れてきた。

ブラジルに来なければ、最後に会えたかもしれない。

日本にいれば、そばにいられたかもしれない。

そう考えるたびに、胸が苦しくなった。

しばらく、何をしていてもリロのことを考えていた。

練習中も、部屋に戻ってからも、ふとした瞬間に思い出した。

写真を見ては泣いた。

動画を見ては泣いた。

声を聞きたくなって、何度も見返した。

でも、画面の中のリロは動かない。

どれだけ名前を呼んでも、返事はない。

その現実が、どうしても受け入れられなかった。

サッカーをしなければいけない。

前を向かなければいけない。

そう思っても、心がついてこなかった。

しばらくの間、僕は本当に元気が出なかった。

ずっと落ち込んでいた。

何をしていても楽しくなかった。

夢を追うためにブラジルへ来たはずなのに、

その夢さえ、一瞬どうでもよくなるくらい辛かった。

あのとき初めて、

夢を追って遠くへ行くということは、

自分がいない場所でも、大切な存在の時間は進み続けるということなんだ

と、痛いほど実感した。

そして、

自分が夢を追っている間にも、

日本にいる家族や大切な存在との時間は、同じように過ぎていく。

その時間を、全部一緒に過ごすことはできない。

どれだけ大切に思っていても、

離れている以上、立ち会えない瞬間がある。

リロの最後に会えなかったことは、

今でも僕にとって、本当に大きな後悔として残っている。

でも同時に、

17年近く一緒に過ごせた時間まで、なくなったわけではない。

一緒に過ごした日々。

帰ると迎えてくれたこと。

何気ない毎日の中にいてくれたこと。

その全部が、今も僕の中に残っている。

リロがいなくなった悲しみは、簡単に消えるものではない。

今でも思い出すと、胸が苦しくなる。

それでも、リロと過ごした時間があったからこそ、

僕は誰かと一緒にいられる時間が、永遠ではないことを知った。

「また帰れば会える」

と思っていた時間が、突然終わることもある。

だから今は、

大切な人と過ごせる時間を、

当たり前だと思わないようにしている。

海外に出れば得られるものはたくさんある。

でも、自分が海外にいる間にしか起きないこともある。

その全部に立ち会うことはできない。

これは海外へ出る前に、僕自身もっと考えておけばよかったことの一つだった。

夢を追うことは、何かを諦めることではない。

でも、

何かを選ぶことで、何かに立ち会えなくなることはある。

その現実を、僕はリロとの別れで知った。

ブラジルに来て、一週間ほど経った頃には、

40度の高熱も出た。

トイレで何度も吐いた。

時差なのか。

食事なのか。

水なのか。

練習の疲れなのか。

何が原因なのかも分からない。

まだブラジルに来て一週間。

当然、親しい友達なんてほとんどいなかった。

どこに病院があるのかもよく分からない。

日本から持ってきた薬はあった。

でも、

「今の症状でこれを飲んで大丈夫なのか?」

そんなことすら不安になる。

日本にいたら、

「熱出た」

の一言で済むことだったかもしれない。

でも海外では、その一つ一つの出来事を自分で判断しなければならない。

結局、土日は一人でずっと寝込んでいた。

そのとき、

海外で生活するということは、サッカーが上手いだけではどうにもならないんだと感じた。

知らない環境で生活する力。

何か起きたときに自分で考える力。

助けを求める力。

そして、不安な状態でもパニックにならない力。

海外挑戦に必要なのは、サッカーの技術だけではなかった。

むしろグラウンドの外で試されることの方が、想像以上に多かった。

もちろん、グラウンドの中でも違いはたくさんあった。

まず、言葉。

簡単な会話なら、少しずつできるようになる。

でもサッカーでは、それだけでは足りない。

「もう少し早くここに出してほしかった」

「自分はこういう意図で動いた」

「さっきのプレーはこういう判断だった」

日本語なら簡単に説明できることが、うまく伝えられない。

自分では伝えたつもりでも、違う意味で受け取られてしまうこともある。

監督の説明を完全に理解できない。

練習メニューが分からない。

周りを見ながら、

「たぶんこういうことだろう」

と判断して動く。

日本では、言葉を理解することにエネルギーなんて使わなかった。

でもブラジルでは、

サッカーをする前に、まず理解するところから戦いだった。

ピッチも違った。

天然芝でも、場所によってはかなりデコボコしている。

自分が思った通りにボールが転がらない。

突然跳ねる。

ボールの感触も日本と違って感じた。

それまで自分が積み重ねてきた感覚を、そのまま使えないことがある。

これは僕にとって大きな学びだった。

海外に行くということは、

自分の正解を持っていくことではなく、その場所の正解を覚えることでもある。

日本ではこうだった。

大学ではこうだった。

自分はこうやってきた。

もちろん、それまでの経験は大事だ。

でも、それに固執していたら適応できない。

環境が変わったら、自分も変わらなければならない。

これはサッカーだけじゃなく、社会に出ても同じなんじゃないかと思う。

そして僕には、もう一つ大きな問題があった。

試合に出られなかったことだ。

当時の僕は、観光目的の滞在資格でブラジルに来ていた。

練習試合には出られても、正式なプロの公式戦に選手として出るためには、必要な手続きや在留・就労資格の問題があった。

だから毎日練習していても、

その先にある公式戦に出られない。

これは想像以上に苦しかった。

サッカー選手にとって、

試合に出ることは大きな目的の一つだ。

試合に出るために練習する。

試合に出るために身体を作る。

試合に出るために競争する。

でも僕は、

「今のままでは試合に出られない」

と分かりながら練習していた。

それでも、サボることはできない。

今日の練習を見られている。

評価されるかもしれない。

チャンスが来るかもしれない。

だから頑張る。

でも、そのチャンスが本当に来るのかは分からない。

これは、結果が出ないことより苦しかった。

結果を出す場所にすら立てない状態で、努力を続けること。

努力には、すぐ結果がついてくるわけじゃない。

そんなことは、日本にいた頃から分かっていたつもりだった。

でもブラジルで初めて、

「そもそも結果を出す機会が来る保証すらない努力」

というものを知った。

それでも続けるのか。

誰も見ていなくてもやるのか。

結果が保証されていなくても、自分はこの道を選べるのか。

何度も自分に聞いた。

ブラジルに来て5ヶ月ほど経った頃、プロ契約の話が出た。

ずっと欲しかったものだった。

「プロ契約」

子どもの頃からサッカーを続けてきた人間にとって、その言葉には特別なものがある。

でも実際にその話が目の前に来たとき、

僕はすぐに「はい」とは言えなかった。

給料は決して高くなかった。

滞在費もかかる。

必要な手続きにもお金がかかる。

チームにすべてを負担できるだけの余裕があるわけでもない。

プロになれたとしても、

生活を考えればほとんどお金が残らない可能性もあった。

そこで初めて、

「プロになること」と

「プロとして生きていくこと」は、

同じではないんだと知った。

子どもの頃は、

プロ契約をすればゴールだと思っていた。

でも実際は、

契約書にサインした次の日からも生活は続く。

家賃がある。

食費がある。

ビザや手続きがある。

契約期間もある。

その先のキャリアもある。

夢だけを見て決めていいのか。

現実だけを見て諦めていいのか。

ものすごく迷った。

そんなとき、別の縁から、

リオで新しい挑戦をしないかという話も出た。

ほとんど会ったことのない人から、

「こっちに来て、プロを目指さないか」

と言ってもらった。

それも怖かった。

今いる場所に残るのか。

知らない人を信じて、新しい場所へ移るのか。

どちらが正解なのかなんて誰にも分からない。

この頃から、

「正しい選択肢を探すこと」を少しずつやめた。

たぶん人生には、

選ぶ前から正解だと分かる道なんて、ほとんどない。

選んだ後に、

自分でその選択を正解に近づけていくしかない。

海外に来て、それを何度も感じた。

そして、環境に慣れ始めたと思った頃には、

仲良くなったチームメイトたちとの別れも増えていった。

ブラジルに来たばかりの僕に優しくしてくれた選手たち。

言葉が分からない僕に話しかけてくれた。

助けてくれた。

一緒に笑ってくれた。

最初は知らない人だらけだった場所が、

少しずつ自分の居場所になっていった。

でも、2ヶ月、3ヶ月と経つうちに、

その仲間たちが少しずついなくなった。

移籍する選手もいれば、クビになる選手もいる。

そして、また新しい選手が入ってくる。

やっと仲良くなれたと思ったら、別れる。

また一から関係を作る。

それを何度も繰り返した。

サッカーの世界では当たり前なのかもしれない。

でも僕にとっては、簡単なことではなかった。

特に海外では、

仲間の存在が想像以上に大きい。

家族が近くにいない。

昔からの友達もいない。

そんな中でできた仲間は、

ただのチームメイト以上の存在になっていく。

だからこそ、別れも大きかった。

でもこれもまた、

プロの世界に近づけば近づくほど避けられない現実なのだと思う。

昨日と同じチームが、

明日も同じとは限らない。

だから、

「いつかまた」

ではなく、

今一緒にいられる時間を大切にする。

それもブラジルで学んだことの一つだった。

ここまで読むと、

「海外挑戦って、そんなに大変なのか」

と思う人もいるかもしれない。

特に、これから海外でサッカーをしたい子や、その親御さんには、

不安になる話も多かったと思う。

でも僕は、

海外挑戦をやめた方がいいと言いたいわけではない。

むしろ逆だ。

挑戦したいと思うなら、挑戦してみてほしい。

ただ、

「海外に行けば成長できる」

という言葉だけで送り出したくない。

海外に行っただけで、勝手に強くなるわけではない。

英語やポルトガル語が急に話せるようになるわけでもない。

サッカーが急に上手くなるわけでもない。

海外に行った瞬間に精神的に強くなるわけでもない。

海外という環境は、

成長させてくれる場所というより、

成長しなければ生き残れない場面を何度も与えてくる場所

なんだと思う。

言葉が分からなければ、自分から聞かなければならない。

体調を崩したら、自分でどうするか考えなければならない。

仲間がいなくなったら、新しい関係を作らなければならない。

試合に出られなければ、それでも練習する理由を自分で見つけなければならない。

将来が分からなければ、自分で決断しなければならない。

誰かが毎回答えを教えてくれる環境ではない。

だから大変だった。

でも、

だからこそ、日本にいた頃よりも自分について考えるようになった。

これから海外へ挑戦する子に伝えたい。

出発する前に、

「絶対に成功する」

と自分を追い込みすぎなくていい。

海外に行ったからには結果を出さなければ。

親にお金を出してもらったからには成功しなければ。

周りに応援してもらったからには弱音を吐いてはいけない。

そんなふうに思わなくていいと思う。

挑戦したら、迷う。

寂しくなる。

逃げたくなる。

自信を失う。

「日本に帰りたい」

と思う日だってあるかもしれない。

それは、挑戦に向いていない証拠ではない。

僕も何度も迷った。

大切なのは、

辛くならないことではなく、

辛くなったときに、

「じゃあ、自分はどうする?」

と考えられることだと思う。

続けるのか。

環境を変えるのか。

誰かに相談するのか。

一度休むのか。

帰るのか。

どの答えを選んでもいい。

ただ、

周りが決めた答えではなく、

自分で考えて選ぶ。

海外に来て僕が身につけたかったのは、

もしかしたらサッカーの技術以上に、

その力だったのかもしれない。

そして、海外挑戦を考えている子どもを持つ親御さんにも伝えたいことがある。

海外へ送り出すとき、

サッカーのレベルやチームの強さだけでなく、

生活についても一緒に考えてほしい。

病気になったらどうするのか。

困ったときに頼れる人はいるのか。

言葉が分からないときはどうするのか。

契約はどうなっているのか。

滞在資格はどうなっているのか。

お金はいくら必要なのか。

本人が精神的に辛くなったとき、誰に相談できるのか。

こういう話は、

夢を応援していないように聞こえるかもしれない。

でも、僕は逆だと思う。

本気で挑戦させたいからこそ、

現実の話をする必要がある。

「気合いで何とかなる」

ではなく、

困ったときにどうするかまで準備する。

それも、海外挑戦の一部だと思う。

最後に

僕はブラジルに来る前、

夢を追えば、何か大きなものを手に入れられると思っていた。

プロになれるかもしれない。

サッカーが上手くなるかもしれない。

人生が変わるかもしれない。

もちろん、今でもそう思っている。

だから僕はここまで来た。

でも今は、もう一つ知っている。

夢を選ぶということは、

何も失わずに、欲しいものだけを手に入れることではない。

友達と過ごす時間。

家族と過ごす時間。

大切な存在との時間。

安定した道。

慣れた環境。

安心できる言葉。

時には、そういうものから離れなければならない。

だから挑戦は怖い。

でも、

怖いから価値がないわけじゃない。

孤独になったから失敗でもない。

迷ったから覚悟が足りないわけでもない。

僕は以前、

覚悟がある人とは、

一度決めたら迷わない人だと思っていた。

今は違う。

何度迷っても、そのたびに自分で選び直せる人。

それが、覚悟のある人なんじゃないかと思っている。

もし今、

何かに挑戦するか迷っている人がいるなら、

僕は簡単に「絶対やった方がいい」とは言わない。

挑戦すれば、何かを失う可能性もある。

行かなければ経験しなかった寂しさも、

知らなくて済んだ苦しさもある。

夢を追ったからといって、

必ず夢が叶う保証もない。

だからこそ、

「失敗しない道はどっちだろう」

だけで決めなくてもいいと思う。

「どちらの人生を、自分は生きてみたいんだろう」

そう考えてみてほしい。

僕はブラジルに来る人生を選んだ。

その選択が成功だったのか、失敗だったのか。

まだ答えは出ていない。

これから先、思い描いていた結果にならない可能性だってある。

それでも、

ここに来なければ知らなかったことがある。

孤独になって初めて気づいた、人のありがたさ。

言葉が通じなくなって初めて知った、伝えることの難しさ。

試合に出られなくなって初めて考えた、

「結果が見えなくても、自分は努力できるのか」ということ。

選択を迫られて初めて分かった、

自分の人生を自分で決める怖さ。

そして、

大切な存在との別れを経験して初めて気づいた、

一緒にいられる時間が決して当たり前ではないということ。

当たり前だったものから離れて初めて気づいた、

自分にとって本当に大切なもの。

ブラジルで得たものは、

まだ「プロになれた」とか、

「成功した」とか、

そんな分かりやすい言葉だけでは表せない。

むしろ、

答えが出ていない今だからこそ書けることがあると思っている。

挑戦は、

怖くなくなってからするものじゃない。

迷わなくなってからするものでもない。

全部を捨てる覚悟を決めて、

強い人間になってから始めるものでもない。

怖くても。

迷っても。

寂しくても。

大切なものを失って、立ち止まってしまっても。

そのときの自分なりに考えて、

また一歩を選ぶ。

そして、選んだ後も何度でも考え直す。

僕にとって、

夢を追うということは、

そうやって答えのない道を、

自分の足で歩いていくことだった。

もしこの先、

僕が望んだ場所までたどり着けなかったとしても、

この挑戦に意味がなかったとは思わない。

なぜなら、

夢を叶えたかどうかだけではなく、

夢を追う途中で、自分が何を見て、何を感じて、何を失い、何を選んだのか。

それもまた、

自分の人生に残っていくものだと思うから。